2021年 創業100周年を迎え、
オルバヘルスケアホールディングスとして
新たな一歩を踏みだします
ビジネスを通じて
医学・医療・介護の発展に貢献し、
国民の健康長寿に寄与する
創業100周年を迎えるにあたって
株式会社カワニシホールディングスは、このたび創業100周年を迎えました。これを記念するとともに、次の100年に向けて心を新たにする意味も込めて、商号をオルバヘルスケアホールディングス株式会社へと変更いたしました。
この節目の年を迎えることができたのは、ひとえに、今日までご指導ご支援、そしてご愛顧頂いてきたお客様、お取引先様、地域社会ならびに株主の皆様のおかげと、深く感謝しております。また、今日のグループがあるのは、100年の歴史のなかで真摯に職務に取り組み、信頼と実績を積み重ねてきた諸先輩方一人ひとりの努力があったからこそであり、尊敬の念に堪えません。
当社の前身である川西器械店は、1921年、岡山の地で医療器材販売事業を営みはじめました。その後、第二次世界大戦の混乱期を乗り越え、高度経済成長の波に乗り、国民皆保険制度の確立という追い風を受けながら成長の礎を築き、現在では、東北、関東、近畿、中国、四国と、全国に50以上の拠点を持つヘルスケア企業グループとなっています。
創業当初から今日に至るまで事業を拡大し、成長を続けるなかで、わたしたちが大切にしてきた価値観があります。それは、いかなるときもフェアーであること、そして、謙虚に学ぶ姿勢を持ち続けることです。この価値観は、わたしたちの企業理念である「社員憲章」にも高々とうたわれており、連綿と引き継がれるDNAとして社員一人ひとりの心に深く刻まれ、グループの企業風土を形成しております。
近年、わたしたちを取り巻く社会・経済環境は、かつてないスピードで変化しています。
しかし、どんな時代であっても、人々が安心・快適な暮らしを送るうえで、医療・介護の果たす役割は大きく、社会のインフラとして欠かせないものであることに変わりはありません。
わたしたちは、「ビジネスを通じて、医学・医療・介護の発展に貢献し、国民の健康長寿に寄与する」
というパーパスのもと、これまで尊んできた価値観を守りながら、地域医療の一端を担うヘルスケアグループとしての責任を果たしてまいります。
あわせて、新たな時代を切り拓くリーディングカンパニーとして挑戦を続け、次の100年も社会から必要とされるサステイナブルな企業体をめざして歩んでまいります。
オルバヘルスケアホールディングス株式会社
代表取締役社長
100周年記念事業
オルバグループが創業100周年を迎えるにあたり、8つのプロジェクトがはじまりました。グループの心をひとつにする、それぞれのプロジェクトについてご紹介いたします。
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みなさまに支えられ、紡いできた軌跡
創業100周年を記念した
アニバーサリームービーです。
オルバグループが100周年という節目の年を迎えるまでには、戦争、法制度の改正、事件・事故、技術革新、自然災害など、いくつものターニングポイントがありました。創業から今日までのグループをとりまく歴史を写真とともに振り返ります。
(参考資料:「生命現象としての企業史 ―カワニシホールディングスの90年」他)
川西器械店の幕開け
5月1日、川西器械店設立。創業者は寺岡清照、出資者は清照の父・川西新太郎。
日本初の医療機器展示会(参考館)開催(於・東京帝国大学法学部第29番講堂)。川西器械店はミクロトームを出品。岡山地域で唯一の出品者だった。
展示会最終日に開かれた日本医科器械学会第1回総会に、寺岡清照出席。
満州国立佳木斯(チャムス)医科大学が設立され、川西器械店は同学に納入。
サイパン島が占領され、B29爆撃機による日本本土への空襲が始まる。戦況の悪化にともない、川西器械店の売上台帳に傷痍軍人療養施設への納入が目立つようになる。
川西器械店の売上台帳に記載されている最終日は、6月18日。三菱重工水島航空機製作所からの代金432円の入金記録だった。4日後、同製作所は米軍機の爆撃で壊滅的な打撃を受ける。
6月29日、岡山大空襲。焼け跡の金庫に、川西器械店の売上台帳が残る。
8月15日、終戦。
戦後からの復活と発展
日本医科器械学会再建総会が開かれ、寺岡清照が参加。学会委員に推挙される。
GHQ経済顧問として来日した米銀行家ジョゼフ・ドッジによる財政金融引き締め政策=ドッジ・ライン。
米国経済学者カール・シャウプを団長とする税制使節団により、大幅な税制改革の勧告=シャウプ勧告。
日本経済はインフレからデフレへと振れ、大不況に陥る。少なからぬ医療器械店が姿を消す。
6月、朝鮮戦争勃発。米国は韓国を支援、国連も北朝鮮の制裁を決議。朝鮮戦争による特需景気で、医療機器業界は息を吹き返す。
有限会社・川西器械店の誕生(合資会社から有限会社へ)。
「国民皆保険」体制の確立。国民年金法施行により、「国民皆年金」体制も確立。
10月、岡山県岡山市北区中央町8番10号にて医科器械、理化学器械の販売を目的とする川西医科器機株式会社を資本金150万円で設立。創業者・寺岡清照が初代代表取締役社長に就任。
10月、寺岡清照の長男・寺岡祐平が代表取締役社長に就任。
3月、広島県での販売力強化のため広島営業所(広島市中区)を開設し、初の県外進出を行う。
8月、循環器関連の専門性を強化するため、循環器部門を創設。
基盤の強化と広がり
業界に先駆けて、CI活動を実施。現在の株式会社カワニシのロゴマークを作成。
2つのイメージ調査を実施(内部イメージ調査と外部イメージ調査)。
中期経営計画を策定。専門営業による県外展開を本格的に志向する。
10月、福祉機器及び住宅介護用品の販売及びレンタルを目的とする株式会社ライフケア(岡山市北区)を設立。
4月、島根県での販売力強化のために松江営業所(島根県松江市)を開設。
5月、香川県での販売力強化のために高松営業所(香川県高松市)を開設。
7月、社内報『インテリジェンスターミナル』創刊。(写真左)
7月、新卒者採用を目的とした初めての業界セミナーを開催。
(写真右)
1月、社屋を岡山市北区今に移転。社員と家族の集いが開かれる。
2月20日、創業者・寺岡清照死去。亨年88歳。
10月、寺岡祐平代表取締役社長が代表取締役会長となり、常務取締役・寺岡宏行が代表取締役社長に就任。
7月、従来から強みとしていた整形関連領域の専門性をさらに強化するために整形部門を創設。
年度はじめの7月、初めての「キックオフ」を開催。従来の「新年式」とともに、以降毎年1月と7月に継続開催。
カワニシ・ビジネススクール初級篇開始、新入社員の人間力向上をはかる。
8月、専務取締役・前島智征が代表取締役社長に就任。
1月、阪神・淡路大震災。社員たちは現地へ直接救援物資を運ぶなどの救援活動を行う。
7月、SPD事業を強化するために株式会社ホスネット・ジャパン(岡山市北区)を設立。
低侵襲・放射線領域関連の専門性を強化するためにIVR(InterVentionalRadiology)部門を創設。
5月、四国地区での販売力強化のために株式会社ユーヴィック(香川県高松市)を設立。
7月、高松営業所にかかる営業を株式会社ユーヴィックに譲渡。
3月、単行本『サービスをつくりだす人びとー医療器機商社カワニシの挑戦』(福山健・編著、ダイヤモンド社刊)を出版。
4月、兵庫県での販売力強化のために姫路営業所(兵庫県姫路市)を開設。
グループ経営のはじまり
1月1日、販売力ならびに企業体質の強化を図るため川西医科器機株式会社、香川精器株式会社、株式会社四国メディカルアビリティーズの三社が合併。西日本を代表する医療機器商社となる。三社合併と同時に、新会社名を株式会社カワニシとする。
1月、新年式にて、「社員憲章」が発表される。
6月、株式会社四国メディカルアビリティーズとの合併にともない四国地区の営業展開の効率化をはかるため、株式会社ユーヴィックを吸収合併。
7月、企業理念と戦略を追求する社内書籍『正々の旗・堂々の陣』創刊。2019年まで、20年間にわたり毎年発行される。
4月、介護保険制度が始まる。
12月21日、東京証券取引所市場第二部に上場。業界初の株式公開として注目される。
2月、兵庫県東部での販売力強化のため、神戸営業所(神戸市中央区)を開設。
3月、市場基盤拡充のため、心臓ペースメーカーの輸入・販売などで知られるゲッツブラザーズの子会社、株式会社メドテクニカ(名古屋市北区)の株式を全株取得、子会社化。のちに株式会社カワニシに吸収され、名古屋営業所となる。
10月、徳島県での販売力強化のため、徳島営業所(徳島県徳島市)を開設。
1月、株式会社カワニシは社名を、株式会社カワニシホールディングスと改め、「持ち株会社」として新スタート。これまでの医療器材販売ビジネスを、カワニシホールディングス傘下の事業会社として新設分社し、「株式会社カワニシ」を発足。
2月、NPO法人・日医文化総研設立。同NPO法人より医療文化情報誌『知遊』創刊。2018年まで、全30号が発刊される。
3月、神戸地区の市場基盤拡充のため、有限会社井上医科器械(神戸市東灘区)の出資持ち分を全株取得、株式会社カワニシに合併。
6月、関西地区を基盤に整形外科関連商品を中心に取り扱う日光医科器械株式会社(大阪市阿倍野区)の株式を全株取得。
1月、ネオス医科株式会社(奈良県橿原市)の株式を全株取得。同社を日光医科器械株式会社に合併し、関西地区の強化をはかる。
7月、事業分野を体外診断薬、試薬の領域に広げるため、高塚薬品株式会社(岡山市北区)の株式を全株取得。
9月、代表取締役社長・前島智征が代表取締役会長に、取締役副社長・野瀬洋輔が代表取締役社長に就任。
9月、株式会社オオタメディカル(北海道帯広市)の株式を全株取得。
10月、海外情報誌『Medical Globe』を創刊。
11月、福島県内トップシェアを誇るサンセイ医機株式会社(福島県郡山市)の株式取得を基本合意。株式譲渡契約を締結。
3月、東日本大震災。福島県内の医療機関も甚大な被害を受け医療器材の流通網が一時断裂状態に。
サンセイ医機の従業員は自らも被災者でありながら、県内医療物流の維持に奔走し献身的な働きを示す。
5月、指導論文制度 創設。
1月、サンセイ医機株式会社の株式を全株取得。
9月、取締役副社長・高井平が代表取締役社長に就任。野瀬洋輔は取締役副会長に就任。
1月、カワニシホールディングス創業90周年記念事業の一環として90年史を刊行。
6月、OJTリーダー研修開始。
7月、MedTagの開発・導入を開始。
8月、グループの業容拡大にともない、カワニシホールディングスの本社を岡山県岡山市北区下石井一丁目1番3号に移転。
つなぐ、人と未来。
8月、ものづくり商談会に初めて参加。医工連携活動が本格的に始動。
9月、代表取締役社長に前島洋平が就任。高井平は取締役副会長に就任。
1月、医療機器の輸出入販売を行うことを目的として、株式会社エクソーラメディカルを設立。
3月、前島洋平の社長就任披露パーティーを開催。
4月、前島洋平が、医療機器プラットフォーム構築及び海外マーケット進出強化事業(Medical Takumi Japan)のプロジェクトマネージャーに就任する。
10月、一般社団法人日本医工ものづくりコモンズと国立研究開発法人国立国際医療研究センター(NCGM)が連携して発足したMINCの会主催の「第1回海外医療機器の最新動向勉強会」が開催。この勉強会は現在も続いており、『Medical Globe』が教材として活用されている。
2月、KBS中級篇(マネジメントコース)を常設化。
7月、西日本豪雨。岡山、広島、愛媛などで、カワニシの従業員が病院への物資提供、復旧支援などのサポートを行う。
7月、医療機関向けICTソリューション提供を目的として、株式会社カワニシバークメドを設立。
9月、公益財団法人 寺岡記念育英会 開設。
10月、社員憲章改定。
10月、令和元年東日本台風。福島県の広範囲で浸水被害があり、サンセイ医機が復旧支援などに尽力する。
1月、新型コロナウイルスの感染者が日本で初めて確認される。以後、感染が拡大し、医療機関や物流網が一時混乱する。
3月、健康経営優良法人に認定。
3月、東京証券取引所 市場第二部から同市場第一部銘柄に指定。
1月、創業100周年を記念して、商号をオルバヘルスケアホールディングス株式会社に変更。
7月、100周年記念式典を開催。